一斗缶 村上春樹エルサレム文学賞受賞スピーチ抄訳
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少し考えがありました。そこで行くことにしました。多くの小説家と同じ立場を、ぼくに言われていたこととは反対の立場をとることにした訳です。小説家としては自然なことでしょう。小説家は自分の目で見るか、自分の手で触れていないことを信じることが出来ません。ぼくは見ることを選びました。何も言わないことよりも、話すことを選びました。 こんな風にぼくは述べに来たのです。
仮に壁が堅く高く、卵が潰えていようと、たとえどんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようと、ぼくは卵の側に立ちます。
何故でしょう? ぼくらはそれぞれが卵だからです、ユニークな魂が閉じこめられた、脆弱な卵だからです。ぼくらはそれぞれ高い壁に直面しています。高い壁とはすなわち、ぼくらに普段通り個人的には考えさせないよう仕向けている、システムにほかなりません。
ひとつだけ、小説を書く時に意識していることがあります、個々人の神々しいまでのユニークさを描き出すことです。そのユニークさを喜べるように。そしてまたシステムがぼくらを絡み取ってしまわないように。だからぼくは——人生についての物語を、愛についての物語を書いています。人々に笑い泣きしてもらえるように。
ぼくら人なるものはすべて、個々の、脆弱な卵なのです。壁に逆らうことなどかないません……それはあまりに高く、陰気で、冷ややかなのですから。ぬくもりや強さを求めて魂をひとつにする、ぼくらはそうやって壁と戦うよりほかないのです。決してぼくらを、システムのコントロールに——ぼくらがつくったものに委ねてはなりません。ほかならぬぼくらが、そのシステムをつくったのですから。
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